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コルンバ日記

2005年度の日記 

2004年10月14日 シルコ(サーカス)

10月12日は、ブラジルの子供の日。それに併せて、先週末からサーカスがコルンバにやって来ているので、12日に子供たちと一緒にサーカスに行ってきた。ブラジルの大半の地域は発展途上なので、サーカスや移動遊園地は子供たちにとってまだまだ魅力ある娯楽の地位を保っているようだ。チケット売り場の前で、サーカスに協賛しているスーパー発行の割引券を売っている子供がいた。そういった子供を見ると可哀想に思えるが、当の本人はひょうひょうとしており、たくましいものだ。その割引券を使っての入場料は大人5ヘアル(200円相当)、子供3ヘアルだった。

さて、中に入ってみると思ったより小さく、定員500人程度の規模なので、大したことないのかな、と少々がっかりした。ところが、始まってみると、ライオンが出てきた。特に何の芸もないライオンだったが、ライオンを見ただけで子供たちは興奮していた。(^_^)

2時間ぐらいのショーのうち、大半はピエロによる漫才だった。今まで日本の感覚ではピエロというと宣伝役というイメージがあったが、こちらではピエロはエンターテイナーだ。ポルトガル語のノリたっぷりのコメディアンぶりは実に味があり、観衆の爆笑を引き出していた。日本語だとああいうノリにはなれないだろうと思う。幼稚園に通っている長男も周りの観客たちと一緒に笑っていた。「ほぉ、結構ポルトガル語のピアーダ(ジョーク)が理解できるんだ」と感心して、「面白い?ピエロの言ってること分かるの?」と聞くと、「うぅん、分からない」とのこと。けなげにも子供なりに周囲にあわせようと頑張っているのかも知れない。

ショーの最後は空中ブランコまであり、小さいながらも結構本格的なサーカス団だった。イタリア系文化を垣間見た思いで、結構満足だった。子供たちも、また行きたい、とせがんでいるので、次に巡回してきた際にもまた行きたいと思う。(H)


10月10日 ブラジルの選挙

先週の日曜日は、ブラジルの全市町村の首長および議員の総選挙だった。ブラジルでは、この市町村レベルの全国総選挙と、大統領選と州知事、上下院議員の総選挙が2年おきに実施される。選挙期間は、国をあげてのお祭り騒ぎといった感じだ。投票日の2ヶ月前から宣伝カーがやかましく町中を走り回り、大量のビラがまかれ、町中至る所に候補者のステッカーが貼られる。有力候補者は、相当の資金を投入して、何十名(何百人?)もの選挙運動員を雇うだけでなく、貧困者たちに数千円や数千円分の食料品をあげることで、彼らの票を買っているという話しが当たり前のように飛び交う。さらに、地上波のTVでは全ての局で、昼と夜のゴールデンタイムに1時間ずつ各候補者も宣伝が流し続けられる。市長候補者ともなると、テーマソングまで作ってしまう。そのメロディを自然と口ずさむようになるのに一週間とかからない。それを選挙期間中ずっと聞かせ続けられる。

さて、ずっと前から、抱いてきた疑問があった。それは、どう間違っても当選するはずのないような人々がたくさん立候補していること。市会議員の競争率は10倍ぐらいあるかもしれない。当選しようがないような人たちが、なぜ大挙して立候補するのか?一昔前は読み書きのできないような人ですら立候補していたらしい。落選しても恥ずかしいとは思わないのだろうか?ただ各立候補者に割り当てられているTVでの選挙演説の時間(30秒から1分ぐらい)に、必ず彼らは自分が支持する市長候補者の名前を口にするので、市長候補からお金をもらうために立候補するのかなと思ったりしていたが、今日ブラジル人の友人にその件を尋ねる機会を得た。

やはり、各政党とも自身の市長候補者の知名度をあげるため、多くの候補者を擁立したがるらしい。立候補する側のメリットとしては、選挙管理委員会から2000レアル(800ドル)程度の選挙資金の支給を受けることができ、その資金はたとえどんな得票であったとしても返還する必要がないとのこと。そのような両者の利害があって、各政党とも、それぞれ擁立できる議員候補者数の限界まで、候補者を立てようとする。

ブラジル全国にはたしか5500以上の市町村があり、議員定員数は10名程度。仮に、平均競争率が5倍であるとすると、2000レアルx275000名=5億5千万レアル、日本円にして200億円程度のお金が動いていることになる。さらに市長候補者は、はるかに大きな選挙資金を得ているはずなので、結局数百億円もの税金が、このお祭り騒ぎに投じられていることになる。「そういった無駄遣いを止めるための選挙法改正の声は挙がらないのか?」との問いに、友人は「みんなが選挙でもうけているので、止めようとする声は挙がらない。特に私腹を肥やした腐敗政治屋が政治を牛耳っているので、そんな法改正はなされないだろう」との回答だった。(H)


 

9月30日 久方ぶりの雨

昨日、夕方から風が吹き始め、夜中にかなりの雨が降ってくれた。そのおかげで、今日は昨日までとはうってかわって涼しい一日となった。天気予報では、これから10日間ほどは最高気温が30度を少し超える程度の過ごしやすい日々となるようだ。庭に植えている草花も急に生き生きしてきた。まさに恵みの雨だ。(^_^)

3月までの雨期に雨が少なかった今年は、コルンバにあるEmbrapaパンタナール研究所がパラグアイ川の水位記録を取り始めた1974年以来、3番目の干ばつで、満水時の水位は4.26mであったとこのこと。平年は、最高水位は5m程度、最低水位は1m台で推移し、年間の水位差は4mほどになる。ちなみにイタイプーダムの水力発電にまで支障をきたし歴史的干ばつとなった2001年は最高水位3.15m、一方観測史上の最高水位となった1998年は6.64mを記録している。

干ばつになると、魚の行動範囲がせばまるため、釣りをするにも、魚を食する鳥の大群を観察するにも絶好の機会となる。ただ魚の繁殖に影響が出るため、翌年以降の生態系に影響が出てしまうらしい。(H)


9月26日 水不足

先週から、敷地内に打ち水を始めた。あきらかに熱風が緩和され、今年はこれで行こう!と喜んでいた矢先、数日前から、日中の配水が少なくとも6時間はストップされるようになった。どうも水不足のため強制的な節水体制に入ったようだ。パンタナールの気候は雨季、乾季がはっきりしており、5月から9月までは乾季に当たる。特に今年は日照りが続いており、この22日に0.1mm以下の雨がぱらついたのを除くと、7月29日に降った2.9mmの雨を最後にこの59日間雨が降っていないことになると報じられていた。自分には、その7月29日の雨はもう記憶には残っておらず、実質上日照りはもう4ヶ月間ぐらい続いているように感じられる。

パンタナールは、本州大の領域に形成された非常に緩やかで巨大な盆地。このパンタナール領域に降った雨水は、多くの支流を経由して最終的にはすべてパラグアイ川に流れ込み、何千キロもの距離を数ヶ月間掛けて緩やかに南下していく。パンタナールの主要都市の水位は、今日現在、コルンバより北600kmにあるカセレスで1.26m(前日比6cm減水)、コルンバ2.46m(2cm減水)、コルンバより南500kmのポルトムルティーニョは3.63m(5cm減水)とのこと。これから、まだまだパラグアイ川の水位は減少していく。

ブラジルでは、各家に最低500リットルの貯水タンクがあるので、日中に配水がストップしても、すぐに水が使えなくなってしまうわけではないが、節水を強いられるので不便であることには変わりない。打ち水はもちろんだめだ。灼熱から解放してくれる効果もある恵みの雨が待ち遠しい。(H)


9月9日 暑さが一段落

昨夕は、久しぶりに涼しくなり、一晩中かなりの強風だった。寒冷前線の到来だ。この地域は内陸部のため、気温が下がる時は強風をとともに急変わる。雨も降るかもと期待させるぐらいの強風だったが、雨までは降らなかった。

さて日中、セントロ(中心街)に行ってみると、ある道路脇に、天井が座席近くまでへっこみ窓ガラスも粉々になった車があった。昨晩の強風で街路樹が車の上に倒れたらしく、それはショッキングな光景だった。一緒にいた長男も驚いていた。

折しも日本では、連日台風18号による被害が報道されている最中。昨日は、残念なことに、とうとう北大のポプラ並木が倒れてしまったという報道もあった。100年近い期間、風雪に耐えてきたポプラ並木までが倒れてしまったのだから、今回の強風はこの100年間でも最大級のものであった違いない。今日は時を同じくして、路上でスクラップと化した車に出くわしたため、当地の方々が受けた衝撃の一端を垣間見たような思いがした。台風のためお亡くなりになった方々の冥福をお祈りします。(H)


 

9月8日 改善されるブラジルの厚生事情

今朝、最寄りのPosto de Saude(保健所)からAgente Comunitario de Saudeという人(Welingtonさん)が来た。地域住民たちの健康状態をケアするのが仕事だそうで、私たちの家族構成と健康について簡単に確認した上で、家族全員を登録していった。今後は、保健所の方から子供の予防注射の案内をしてくれたり、診察してほしい際には歯の診察まで、その保健所詰めのお医者さんが無料で行ってくれるとのことだ。

このWelingtonさん、実は私たちの裏隣の住人。地域密着型の仕事をするために、市の厚生課は、地域毎にAgente志願者を公募しているそうだ。彼の担当するのは、近隣4ブロック。とはいってもコルンバの1ブロックは一辺150mほどあるので、300家庭前後を担当していることになると思う。その担当地区を毎日回って、寝たきり老人など往診を必要とする人はいないか、幼児虐待している家庭はないか、食べるのに困っている人がいないか、野焼きは行われていないか、ということまでチェックしているらしい。そして、必要であれば、医者の無料往診手続きから食料も配給してくれるなど、正に至れり尽くせり。しかし果たして、このブラジルで、そこまでの行き届いたサービスが一体どこまで実現可能なのだろうか、という思いは拭えない。ちなみに今月は最寄りの保健所の担当医は長期休暇中なので、一般診察は受け付けていないらしい。

「他の貧困地区で本当に貧しくて困っている人に出会ったけれど、食料は必要とする全ての人に本当に支給されるのか?」と尋ねたところ、「市内全地区に計180数名のAgenteがいて、市全域をカバーしている。ただまだ、この制度が始まって今年で3年目にしかならないので、情報が行き渡っていないところがある。登録もれの家庭もあり得るので、もし困っている家庭に出会ったら、最寄りの保健所に訪ねるように伝えてくれればいい。保健所に登録しさえすれば、必要な家庭には、ちゃんと支給される。情報が伝わっているかどうかの問題だ」との返答だった。

うーん。それでは、子供のミルク代がない、薬代がない、お米が買えないと言っては、私たちを訪ねて来る人々はどうなのか?そういう話を皆が皆、知らないということはあり得ない。ブラジル人はおいしい話は逃さない人が多いし、事実、訪ねてきた人を助けてあげると、それを見た別の人がすかさず助けを求めてくるということも多い。以前、市会議員に食料寄付について尋ねた際に、「あまり人の言うことを鵜呑みにしてモノをあげない方がいいよ。困っていると言いながら、家にはしっかりテレビとか持っている家庭も多いから。酒代とドラッグ代かせぎの場合もあるからね」と言われたことを言葉が頭をよぎる。

しかし、その一方で、極貧生活をしている人々も相当数存在する。この目で確かめたのだから間違いない。事実、この市の極貧家庭は数百軒なんてものではないだろう。知り合いの市役所の職員は、「数ヶ月も給料の支払いが滞っている」とよくぼやいている。「5ヶ月間も滞っている」と嘆いている時期すらあった。それなのに、貧困にあえぐ失業家庭全軒に十分な食料を配給するだけの予算はあるとは到底思えない。共生共栄の理想実現の道は、はるか遠い。(H)


 

9月1日 出生登録完了

今日は、ようやくLucia侑華(ゆうか)ちゃんの出生登録が完了した。一昨日の教訓から、13時過ぎにタクシーで役場に向かい、1時15分頃に役場に着いたが、私たちの前にすでに二組がいて、私たちの出生登録手続きが終わるまでに二時間ほどかかった。日本なら、おそらく出生届を受理してもらうだけなんだろうけれど、こちらでは出生届を出したその場で出生を登録し、出生証明書を発行してもらうことになっているので、登録作業が終わるまで待たないといけないのだ。日本のような戸籍が整備されているわけではない分、一人一人の出生登録に時間がかかるのかも知れない。それにしても時間がかかりすぎるのは何とかして欲しいものだ。見る限り、出生登録担当者は午前午後のそれぞれで四組までの出生登録しか受け付けていないようだ。(H)


生後20日目の侑華ちゃん

お兄ちゃんたちにかわいがわれてます
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8月31日 はや真夏?!

昨日、息子を1ブロック先の幼稚園まで送ってきた後、花壇の水やりと庭掃除をした。朝8時前せいぜい15分ぐらいにしかならなかったはずなのに、頭が少し痛くなったような気がした。最近暑いので35度ぐらいになっているかなと思って、久しぶりに天気サイトを確認してみると、15時時点でなんと38度となっていた。14時時点には39度まで行っていたかも知れない。

さて、今日もやっぱり暑かった。昨日より暑かったような気がする。TVの予報ではすでに40度という数字が。。。TVでは「春到来」などといっているが、コルンバでは、すでに6月から春の陽気、7月に入ってからは連日30度を超し続けている。この町では、最高気温が32度ぐらいまでなら、むしろ快適に感じるぐらいなので、4月から8月下旬までの期間は、非常に過ごしやすかった。昨年は10月になってから寒波がきたこともあったので、もしかしたら、まだ寒波が来るかも知れないというほのかな願いがまだ捨てきれない。(H)


8月30日 くたびれもうけ

今日の午後、新生児の出生届に公証人役場(Cartorio)に行って来た。ブラジルで婚姻届を出したカップルの場合は、片親が申請に行くだけでOKなのだが、ブラジルの役場には婚姻届を出していない私たちの場合は、妻も一緒に役場に出向かなければならない。

役場は1kmほどしか離れていないが、炎天下を避けるためにバスに乗って行った。ところが、停車ボタンを押したのに、降りたいバス停で止まってくれず、役場から結局500m先にある次のバス停で降車した。まだ復調しきっていない妻に気の毒に思ったが、妻は不服も言わず、役場までけなげに歩いてくれた。さて役場に着いたと思ったら、看板が「会計事務所」となっている。おかしいな、とりあえず確かめなければ、とドアを開け、「ここはもう役場じゃないのか?」と尋ねると、私が尋ねるであろう質問をすでに知っていたかのように、「いやぁ、最近役場は2ブロック下に変わったんだよ」と教えてくれた。

「おそらく、私たちと同じようにいかにも出生届けに来たという風貌のカップルがまだ毎日のように来るんだろうね」とか話しながら、移転先の役場まで歩いていった。着いてみると、「今日はもう仕事が一杯で受け付けられないよ。朝の八時か昼の一時に来て下さい。」と取り合ってくれなかった。妻を慰労する言葉もなく失意の中に、役場を後にすると、私たちが来たのと同じ道を降りてくる新生児を抱えた女性がいた。おそらく彼女も同じようなコースを辿ってきたに違いない。(H)


8月16日 第4子誕生!


生後12時間の赤ちゃん

8月16日20時38分、第4子(女の子)が誕生しました。帝王切開3回目です。
今回も出産に立ち会いました。前回は写真を撮って良いということを知りませんでしたが、今回は医師の方から「写真も撮っていいですよ」と言われたので、赤ちゃんを取り上げた直後の写真なども撮ることができました。

ブラジルの入院期間は短く、自然分娩だった第1子の出産時には、出産後一晩あけたらもう退院だったと思います。今回は、帝王切開だったので前回同様、二晩泊まっての退院でした。

ブラジルでは帝王切開のケースが相当高い(30%程度らしい)ですが、その背景には、出産を楽に済ませたいし、帝王切開の方がリッチに見えるという母親の思惑と、難産のリスクを負いたくないし、帝王切開の方がお金もかせげるといった医師の思惑がはっきりと感じ取れます。また、ミルクについても、粉ミルクは文明の恩恵だしクールという雰囲気があるようです。

ところが、今回は、ここ数年の間に、そういった風潮が大きく変わりつつあることを感じました。というのも、今回は出産施設の掲示板に帝王切開のデメリットを報じるレポートがあり、さらにミルクについては、母乳奨励のため、「母乳のみで育てる」という決意文にサインを促され、特に入院期間は原則粉ミルク禁止とのことでした。母乳が余りでないとしても、それは出るようになるまでの忍耐の問題だ、とまで言われましたので、母親にとっては結構なプレッシャーです。

お産の前後は、毎回緊張しますが、今回はコルンバから600km弱の距離にあるマラカジュ市から、大学時代の先輩の村松さんの奥様(みどりさん)が手伝いに来てくださったので、大変感謝です。か弱い赤ちゃんを見ながら、人は生かし生かされているものだなを改めて感じています。(H)


4月11日 パスコア(復活祭)

パスコア(Pascoa)とは、ポルトガル語で「復活祭」のこと。復活祭といえば、イースターエッグとうさぎ。なぜ卵とうさぎかというと、卵は生命の誕生の象徴として、うさぎは、諸説あるが、その多産なことから豊穣の象徴として、復活に関連づけられているらしい。

町のスーパーマーケットでは、数週間前から、卵形のチョコレートが所狭しと天上に吊して売られている。その値段が、べらぼうに高い!ここ数年のインフレで、その価格が倍化した一般のチョコレートの価格より、5倍は高いのではないか。にもかかわらず、このチョコレートがよく売れているようだ。決して豊かではなさそうな人が、一つ数十レアルもするチョコレート卵を3つも4つも買っていく姿を見ると、驚きを感じざるを得ない。そして復活祭を前日に控えた昨日、写真のスーパーに行ってみると、もうチョコレートはほぼ完売状態だった。よく、日本人は画一的だと言われ、とてもリーズナブルとはいえないお金の使い方(たとえばランドセルとか、法外な値段の学習机など)をすると、外国人からは驚かれたりするが、ブラジル人も結構右に倣えで、法外な買い物をする傾向を持っているようだ。結局、ある事柄が文化となってしまえば、洋の東西を問わず、合理性を超越するということか。

さて、ブラジルはキリスト教国なので、この復活祭までの一週間をセマーナサンタと呼んでおり、とくにイエス様が十字架に付かれた金曜日は「キリストの受難日」として国の祝日になっている。では、いつから「キリストの受難」が祝われるようになったのか。

生前のイエス様を知っていた弟子達にとって、十字架は、ユダの裏切りと彼ら自身の不信仰の産物でしかなかったように思われる(使徒行伝7:52)。イエスの十字架とともに死んでしまった彼らの信仰を復活させたのは、イエス様御自身の復活によるものだった。ゆえに、初期のキリスト教徒たちは、「十字架の受難」を祝うことはなく、ただ毎週日曜日を主が復活された日として祝っていた。それが、2世紀になると、ユダヤ教の「過ぎ越しの祭り」にリンクして、年に一回、春分後の最初の満月のあとの日曜日を復活祭として祝うようになった。

さて、使徒たちが悲憤慷慨したイエス様の痛ましい十字架刑のイメージは、時の流れとともに、人々の頭からすっかり消え去っていったようだ。4世紀に入り、あるキリスト教コミュニティが「イエス様の受難」をも祝すようになると、ついにはそれが一般的になり、復活祭の祝日は、現在のように、イエス様の受難、死、復活の3日間の祝日となるに至ったということらしい。(H)


3月17日 灼熱のコルンバ

「今日は昨日よりも暑いねぇ!」5歳の息子の口癖である。「ねぇ、今日もクァレンタ(40度)かなぁ」・・・しかし子供たちは暑さにめげず、陰がほとんどないような時間帯でも外で飛び回る。元気でいいねぇ・・・としか言いようがない。

コルンバというと、ブラジル人でも外国人でも誰もが言う言葉。「あそこは暑くて大変でしょう。」

Weather.comというサイトで毎日コルンバの天気予報をチェックしている。真夏の体感気温は連日40度を越す。さらには、本来10段階表示であるはずのUVが、あるとき「11:Extreme(めちゃくちゃ強い)」となっていた。「笑っちゃうねぇ」と言っていた、その数日後、UVがさらに12なり、そして13、しまいには14と表示されていた。そんな灼熱が11月から2月(3月も含むかも)まで続くのだ。

そんなかんじでパンタナールの首都、観光都市という言葉は二の次。隣のお医者さんも、「ここは外国人にはインフェルノ(地獄)だな?」と言いながら暑さ自慢をしてくる。全くその通り、と真顔で言いたいところだが、にこにこしながら、「いやぁ、まぁ、そうですねぇ。」暑い、疲れる、いらいらする、子供たちがうるさい、と4拍子揃うと決まって自分は限界に達する。ぶちっと来る前にこどもの前から姿を消すに限る。空は綺麗だなぁ・・・。ブラジルの空はダイナミックである。入道雲がもくもく成長している。しめしめ。遠くの方には大きな黒い雲。しかも黒い柱も出来ている。あっちのほうではどしゃぶりだ。こっちにも来るよね。来るよねぇ・・・毎日雨が降ることを願い続けるが、今年の雨期は雨量が少なくていつまでも暑い。それにしてもはるか遠くの空まで観察できる。本当に見ていてあきない、ブラジルの空。(M)


2月20日 カルナバルの喧騒

今、ブラジルはカルナバル(カーニバル)。リオびいきなコルンバの人々も、カルナバルに対しては、相当入れ込んでいます。何しろ、コルンバのカルナバルは州最大規模のもので、この期間中は州内から数千名の観光客が来るそうです。

どんちゃん騒ぎが好きなブラジル人たちは、この期間は無礼講とばかりに、夜遅くまで騒いでいるので、正直なところ、早く終わって欲しい。。

このカルナバル期間は、性倫理のとががすっかりはずれ、ブラジル全国で父親の分からないカルナバルベイビーが沢山宿るそうです。その噂の真偽は、長男が幼稚園に通い始めることで確認できました。

昨年、長男が幼稚園に通い出したのですが、その幼稚園には「今月の誕生日の園児」の名前が掲示されています。そして、11月になり、その話を本当だったんだ、と分かるようになりました。11月生れの子供は、クラスの3割以上に達するのでないかと思われます。自分たちの長男も11月生まれなので、そういう感覚で見られているかもしれません。(^_^;) (H)




息子の幼稚園でのカルナバルパーティ (クリックで拡大)
園児たちの出し物でも準備しているのかなとほのかに期待していましたが、何のことはない。やっぱりただのどんちゃん騒ぎでした。。 子供たちは、バットマンやスパイダーマンなど、派手な服装をしていました。ひとり、あやしい日本人女性の服装をした女の子もいました。一体、どういうイメージを抱いているんだか。