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コルンバ日記

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2005年11月13日 公立学校での衝撃二つ

10日、エイズ予防セミナーのため州立学校を訪ねたところ、職員室の隣の部屋の張り紙に驚いた。「法律第62項:校内でのキス、抱擁、いちゃつきは法律によって禁じられています」 いやぁ、こんな法律があったんだ。

実際、ブラジル人学生、とくに高校生ともなると、学校の門の前とか、街角で平気で抱きしめ合ったり、キスしたりしている。その同じ校内には、小学生低学年も勉強しているので、こういう法律は、やっぱり必要だと思う。

11日は、朝から激しい雨だった。子供を学校へ送っていくのに雨合羽(おそらくポルトガル語のカーパが語源)を奥から引っ張り出してきて、雨に濡れながら、小学校へ着いた。ちょっと遅れてしまったなぁ、と思っていたが、いざ学校へ着いてみると、全校生徒のうち10名にも満たない生徒がきているだけ。それどころか、息子の担任の先生まで、まだ学校に来ていなかった。他の先生が「息子さんの先生はまだ来ていないし、今日は授業がどうなるか分かりませんね。私のクラスの幼児は一人も来ていないし」と言った後、車に乗って、はやばやと学校を後にしていった。

その後、5分ほどして、担任の先生がやって来て、「私のクラスの生徒は、息子さんともう一人の二人だけしか来ていない」と話しかけてきた。「でも授業はあるんですよね」と尋ねると、「ああ授業はありますけど、問題は終了時間です」と言いながら、他の先生に「今日は9時で終わりよね」といきなり、11時までであるはずの授業時間を省きたい様子。その次には、「やっぱり、今日はもう息子さんを連れて帰ったらどうですか」と提案してきた。

「えっ、でも授業はあるんですよね」ともう一度尋ねると、「生徒が二人だけだし、授業のやりようがありません。それに息子さんはもう読み書きができますし、今の時期は主に読み書きを習得していない生徒の補修が中心ですから、こういう雨の日は、息子さんを連れてくるには及びませんよ。補修が必要な生徒の親は、子供の教育に協力してくれないから、どうにもならないですよ」というのが、彼女の逃げ口上だった。

仕方ないので、雨に打たれながら、また家に帰ることとなった。途中、パン屋に寄って、「今日は子供を学校に連れて行ったら、他に生徒が一人しかいないし、授業にならないと言われたんだ」と言うと、「ブラジルの(公立)学校は、いつもそんな感じだ。それが現実なんだ。」との言葉。

こんな感じで、金曜日は突然の休校、来週は火曜日の祭日にからんで、月曜日も休校だ。ついこの間は、11月2日水曜日が「死者の日」で祭日であったのにからんで、月曜、火曜も休校だった。年中、こんな様子なので、教育に意識があるなら、子供を私立に入れようとするのは当然だというのが、この一年で私たち家庭が到達した、ゆるぎない結論。算数の教科書には「今日は雨だったので、○○人は授業に来なかった」などという文章が平気であったりする。(H)


2005年10月12日 本格的な夏の到来

先週末、ちょっとした寒波が来て、2、3日涼しくなっていた。その余韻がため、天気予報を見る限りでは、今週はまだ37度超の猛暑には至らないはずだったのに、余りにも暑い。Weather Comを見ると、UVこそ強度10にとどまっていたものの、15時の時点、ついに39度、体感温度48度をマークした\(◎o◎)/!。自分個人の記憶上での、体感気温の記録更新だ。日差しがきついよりも、今日のようにちょっと雲もあって蒸し暑い日の方が、体感気温としては高くなるということか。ブラジルはこの日曜日からはもう夏時間。おそらく寒波はもう半年先まで戻ってこないだろう。(H)


2005年9月25日 はちどり

最近前庭にはちどりが来ることが多くなった。前庭の植物の世話を長男にまかせて、彼は一応毎日水まきをしているせいか。それともブラジルの春で花がよく咲くからかな?意外とそばで見ていても逃げないで、花から花へと本当にハチみたいにブーンと飛んでる。色も緑色のような青色であります。写真に撮れるといいのだけれど、カメラを取りに行くのもついつい忘れて眺めてしまうのだった。

明日からここの教室を文盲の人たちのためのアルファベット教室に使うことになった。月火木金の週4回、果たして何人約束した人たちが来ることやら。先生は12人来ると言ってますが、いつも開けてみてびっくり。ここの人たちはなかなか約束を守りませんからね。でもタイムリーに教室と前庭がきれいに整って良かった良かった。(M)


2005年9月5日 無料講座の企画。。

この土曜日からスタートした英語講座の生徒募集は、支部正面に張り紙をしただけでしたが、貼り出し後4日間で、12人の定員数を超えた申し込みがあり、申込者数が15人を超えた時点で募集を終了しました。本来は、新聞に掲載しているメッセージ欄に生徒募集要項も載せるはずだったのですが、新聞編集者のミスで、生徒募集の広告部分は掲載されませんでした。新聞に広告を載せた場合には、応対で大変なことになったでしょうから、かえって不幸中の幸いだったかなと思っています。

さて、英語無料教室は何年も前に企画して、挫折したことがありました。というのは、無料だというので、遊び半分にやってくる生徒がいたからでした。それ以降、英語教室は、生徒選別の意味合いを込めて、授業回数に応じて月10-15レアル(400-600円相当)の授業料を取るという形で行っていました。

今回は、授業の前、説教を聞くという条件を付けたので、遊び半分の申し込みはないだろうし、ましてや張り紙だけでは、一週間で定員に達することは難しいかなと思っていました。ところが、意外にも、申込者は次から次に来るし、皆口を揃えて「英語も講話も関心があるので申込書にサインしたい」と言うので、正直驚きました。「先着順で受け付けるけれども、いったん申し込みをしても、結局来なかったり、1、2回でやめたりすると、他にやる気のある人の席を奪ってしまうことになるから、しっかり受講するよう協力してくださいね。」と念を押して言うと、「もっともだ、当然だ」という反応をしていきました。

そんな様子でしたから、初回は15名全員来そうだなぁ、教室が手狭になるなぁと思っていたのですが、ふたを開けてみると、当日の受講者は5名、その他「初日だけ参加できなくなった」と連絡を入れてきた人が2名という具合でした。ラテン系のオープンで気楽なノリの前に、また肩透かしを食らった形です。(^_^;) ただ、集まった生徒たちは、皆真面目に受講していたので、授業の雰囲気はMuito Bomでした。(^_^) (H)


2005年8月5日 ジャポネース・ガランチード

最低気温12-14度の寒さから一転して、先週から最高気温35度を超える陽気が戻ってきている。にもかかわらず、扁桃炎でダウンしてしまった。ただの風邪なら休んでいれば治るだろう、と二日間は病院にも行かずにおとなしくしていた。というのは、公立病院では診察も(院内での)投薬も原則無料であるため、基本的に丁寧な応対はなく、ずいぶん待たされるのは避けられない。ときには、人種差別とか宗教的偏見などに起因して非常に悪い応対を受けることもあるからだ。一方、私立の病院は、「お客さん」として応対はしてくれるものの、こちらの病気につけ込んで商売するような感じが実に強い。ある時、月払いの家族プランを契約していた病院に入院した際には、過度の点滴投薬で、体の冷えを感じるので、止めてほしいと何度も願い出たが、にやにやしながら聞き入れようとせず、翌朝退院する際には、法外な額を請求され大変気分の悪い思いをしたことがあった。それ以降、その病院には二度と行っていないし、他の内科系の病院を探そうという思いも正直湧かない。

しかしながら、今回ばかりは一向に治る気配がなかったので、妻に促されて公立病院に行って来た。受付の待合室にイスすらないのは相変わらずで、その点はしんどかったものの、今回は極端に長い時間待つことなく、診察してもらえた。診察してくれた医師は、私を見るなり、「日本人か?どこの出身だ?」と訊ねた上で、「ジャポネース・ガランチード(日本人なら安心)」と非常にポジティブな様子で、処方箋には「何かあったら電話したらいいよ」とケータイの番号まで書き込んでくれた。日本人移民の先人たちが、南米特有の「いい加減さ」と「信用のならなさ」に染まることなく、守り続けてきた日本人の律儀さが生んだ「ジャポネース・ガランチード」の恩恵に、感謝と嬉しさを感じた一コマとなった。病状の方も、ペニシリンの注射と処方された抗生物質が効いて、診察当日から快方に向かい、三日間を経過した現在すっかり回復している。(H)


2005年5月20日 大自然の表と裏

先週パンタナールのエコツアーに行って来られたSさんからお裾分けしていただいたパンタナールの写真をアップしました。Sさんが参加なさったのは、20代のバックパッカーたちに人気のある2泊3日のパンタナール奥地でのキャンプツアー。電気設備も整っていないほどの奥地を拠点とするエコツアーなので、動物を見るには一番お勧めのツアーだと思います。時期的にはいいシーズンとは言えませんが、ちょうど先週から暑さが戻ってきているので、それでも結構動物を見ることができたようでした。私たちも行きたいところですが、残念ながら、今は子供たちがまだ小さいので、当分行けそうにはありません。

パンタナールの自然といえば、先日日本にいる家族から、椎名誠さんのパンタナールの番組を録画したビデオが届きました。パンタナールの原自然との触れ合いは、普通の日本人の感覚では想像できないぐらいに貴重なことであるに違いありません。しかし、観光に来るのとその場でずっと暮らすのとでは大きな違いがあります。番組では、ただ美しい自然だけを見せるのではなく、その地で暮らす人々の生活ぶりをも伝えていました。正直なところ、インディオ村の人々の暮らしぶりを見て、気が重くならない人はいなかっただろうと思います。「目には美しい自然も、生きるには厳しい」というようなことを椎名さんが言っていましたが、まさにそのとおりと思います。

番組では、スタッフの方々が現地の人々の中に入り、ひとときを共にされていました。その同じひとときが、現地の人々にとっては明日の見えない生活のただ中であり、かたや番組スタッフの方々にとっては、現地の人々が一生かかっても到底手にできないような報酬を与えてくれる仕事の一つに過ぎず、さらには貴重な体験として心に残るひとときとなったのかも知れません。複雑な思いを感じさせる番組でした。(H)


2005年4月26日 寒波到来と公立学校

2月上旬に雨期が終わってからしばらく猛暑が続いたものの、2月末頃からは残暑程度に落ち着いていたので、これで今年の夏はおしまいかとタカをくくっていた。しかしそれも束の間、3月上旬から結局今まで、最高気温35度超の猛暑が続いていた。この土日も、日中は気温36度、体感気温43度まで暑くなっていたのだが、日曜夜にとうとう寒波が到来し、昨日の朝からすっかり冬模様になっている。

コルンバは、一年の大半が夏状態なので、寒くなると、「冬眠」さながらに動きが緩慢になってしまう。実際、まちの人通りはぱったりと止まってしまう。ここまでは、今までの経験上すでに知っていたこと。しかし、昨日はある種の衝撃を受けた。学校と幼稚園に上の二人の息子を送りに行くと、登校してきた生徒はなんと半数以下だったのだ。幼稚園はまだよいとしても、小学校でそんな調子ではどうしようもないと思う。長男が入学して2か月余り。コルンバの公立学校に対する現在の率直な感想は、どうも先生も生徒もあまりやる気がないということだ(ブラジル全国で公立学校がみな一律にそうだというわけではありません)。経済的にゆとりがありそうでない家庭でも子女を私立の学校に行かせようとする理由は、公立学校や低所得層の子女に対するただ単なる偏見(そういう偏見を我が子にはもって欲しくなかった)や見栄のゆえではないのだと言わざるを得ない。フレンドリーな雰囲気はポイントが高いのだが。(H)


2005年1月31日

 金曜と土曜にわたって、ガイドとして、ボリビアのサンタクルースという街に行って来る機会がありました。コルンバからサンタクルースまでは約800kmの距離がありますが、その途中、町と言えるような町もなく、ただただ果てしなく続く未開の大森林は圧巻でした。ただ、欲を言えば、パンタナールの湿地帯が広がるブラジル側の風景を見てみたいものです。それも、イッペーの花が咲き乱れる8月辺りに。(H)


2005年1月22日

この週末、家族全員でジャルジン本部に行って来ました。ジャルジン訪問は昨年4月末以来。妻にいたっては、実に一昨年9月以来となる訪問でした。
ジャルジン本部での会議では、マットグロッソドスール州内の各支部の活動報告を聞く機会がありました。とくに、ジャルジン周辺都市では、私たちのギアロペス医療検診所が主催する医療奉仕が高く評価されていること、ジャルジン市では、市役所が主催する職業訓練教室で、授業に先だって毎回30−40分間、私たちが進めている理想家庭教育の講演をしてほしいという依頼がきているという報告などが特に目を引きました。また機会をみて、医療事業に関する情報などを更新したいと思います。

ルビー 今回、コルンバへの帰途、ある友人家庭から、グレートデンの子犬を戴きました(ルビーと命名)。このルビーのおじいさんは、私たち世界平和統一家庭連合が、パラグアイ川沿いをコルンバから400kmほど下ったパラグアイ側にあるインディオ村で進めている支援活動(これまでに発電所、浄水システムなどを建設済み)の拠点レダで飼われていた犬とのことで、感慨深いものがあります。
コルンバ支部では、昨年6月に犬が死去して以来、番犬がいませんでした。治安の悪いブラジルですから、支部を訪れてくる現地の人たちは、「犬はいないのか!」と口をそろえて、驚きます。実際、犬が死んでしまってからというもの、庭に留めてあった自転車を白昼堂々と盗まれたり、道ばたで遊んでいる子供が正門を乗り越えて勝手に入ってくるという問題がありましたが、これでようやく泥棒の心配から解放されるだろうと思います。ただ超大型犬なので、成長した暁には、来訪者が恐れをなしてしまうという別の心配もありますが。。(H)


2005年1月1日

 コルンバで迎えた2005年、もう何回目の年明けをここで迎えただろうか。朝起きるなり、長男の第一声。今日のぼくの夢!海にうきわもって毎日毎日遊びに行った夢だった〜!それはそれは目を輝かせて嬉しそう。ここは南米大陸のど真ん中なので、常日頃から海に子供たちを遊びに連れて行ってあげたいな・・・と思っていてもなかなか難しい。市のプールも衛生上気になってしまって連れて行ったことがない。パラグアイ川もばっちい?(水が茶色)ので泳ぐ気にならず。こんなに暑いとこに住んでいながらな〜とか思うのだけど。元日の朝から一つの願いがかなえさせてもらえたようで私もすごく嬉しい。  夜はパラグアイ川のほうで花火が打ち上げられた。今年から市長が変わるので、その関連で川の近くの広場では盛大にフェスタが行われているようだ。これまた生まれて初めて見る(!)花火にこどもたちはうっとりだった。日本の花火はもっとすごいんだよ〜、と言っていたけど、コルンバ生まれのこの子たちにはここで見る花火が心に刻まれるんだろうな、と思う。(M)