コルンバ日記

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2006年1月15日 嵐のような団体客

11日から13日夕方まで、世界平和統一家庭連合のドミニカ支部、ペルー支部、ボリビア支部から70名弱の若者たちが、コルンバ支部に滞在していきました。彼らは、この10日から24日までジャルジンプロジェクト本部で開催されているラテンアメリカSTFプログラムという青年教育のセミナーへ参加するために、はるばるブラジルまでやってきました。

11日午前、事前連絡のとおり、ボリビアで出国手続きを済ませたボリビア人とペルー人の代表者がまずコルンバ支部にやってきたので、彼らがバスをチャーターするための便宜を計らいました。そして、契約も済んで、貸し切りバスと一緒に戻ってきた彼らは、「これから他のメンバーをボリビア国境でピックアップした後、ブラジル入国手続きを済ませて、ジャルジンに向かいます。お世話になりました。」と、出発していきました。

案外すんなりと事が運んで何よりだったと思いきや、17時を過ぎてから、なにやらバスのエンジン音が。。
妻は「まさか、問題が起きて、今日はここに泊まっていく、なんてことにはならないよね。」と不安を口にしたものの、
「『入国のビザも、黄熱病の予防接種も問題ない』と代表者も言ってたし、丁寧に皆で挨拶しに来てくれたんじゃないの」
と、信じたかった私たちでした。

ところが、ボリビア人の代表者が駆け寄ってきて、「問題が起きました。ブラジル入国のためには、外国発行の国内向け予防接種証明ではだめだし、もう今日は間に合わないから明日8時以降に来てくれって言われました。すみませんが、今日はこちらで泊めていただけませんか?」と。

「雑魚寝してもらうスペースならあるけれど、これだけの大人数じゃ、トイレ・シャワーが無理でしょ。」と応じると、
「いえ、サンタクルースでも、トイレ・シャワーが二つだけしかないところに泊まってもらいましたから、それは大丈夫なので。」とのこと。
こうして、結局、彼らには泊まっていってもらうことになったのでした。

翌朝、彼らは8時過ぎに、母国発行の予防接種証明を国際イエローカードへ切り替えてくれる役所に出発していきました。
ところが、代表者が何時間たっても帰って来ず。。ようやく14時ごろに帰ってきたものの、「『ペルー発行の証明はブラジルでは効力がないので、切り替えられい』と言われまして、結局もう一回改めて皆予防接種を受けなおしているところなんですよ。」とのこと。しかし、それでは、予防接種の発効は10日後になってしまい、ブラジル入国手続きができない。

最終的に、ボリビアの役所ならば、切り替えてもらえるだろう、ということになって、彼はみなのIDをもってボリビアの町へと出発していったものの、もはや、その日も到底、入国手続きまで終わらせることはできず、まさかのもう一泊が確定。
そんなこんなで、結局、彼らは13日の18時頃、ジャルジンに向けてコルンバ支部を出発していったのでした。

彼らにとっても、ブラジルは外国なので勝手が分からず、不便な雑魚寝生活まですることになって大変だったでしょうに、不平を言わない姿は偉いと思いました。国籍を問わず、同じ環境を分かち合いながら高まっていこうとする若者たちは、将来の希望ですね。

この期間は、彼らにとって私たち家庭も大変でしたが、来客にはある程度慣れている子供たちは、人見知りを始めたばかりの一番下の子を除いて、みな良い子にしてくれていたのでした。(H)


出発前に若者たちと記念写真

二台のバスで発っていきました


2006年1月6日 真夏のAno Novo

2006年になった。とはいっても、ブラジルは夏であるからか、日本のように厳かに新年を迎えるという風情は感じられない。31日もほとんどの店は普通に営業している。ただ午前零時に向けて、街の至る所から花火が上がりはじめ、午前零時から10分か15分ぐらいの間、花火の音がけたたまく鳴り響く。ブラジルの人々は普段のフェスタと大差ないノリで、新年を迎え、若者たちの多くは、開放的なフェスタに参加して夜明け近くまで楽しむようだ。元旦は、その反動で、皆朝遅くまで寝ているらしく、街中が静まり返っている。そして、カンピオン・デ・フェリアス(お休みのチャンピオン)の名にふさわしくなく、二日からは通常通りの生活に戻る。

ナタゥ(クリスマス)の午前零時にも同じように花火を上げるが、クリスマスイブにはイエス様に関連するTV番組が流れ、深夜零時からは、バチカンのミサがTVで生中継されているので、ブラジルではむしろナタゥを厳かに迎えるといった趣がある。正月はその重要なナタゥの直後にくるので、影が薄いのかもしれない。

さて、昨年のパンタナールは、年を通してほとんど降雨がなく、、パラグアイ川の干上がり具合も、この30年で一番ひどかった。そのため、ファゼンダの自然発火も多く、市全域が草の灰で覆われた日が何日もあった。そして、10月の時点ではや真夏状態だった。ところが、10月下旬から雨が降り始めて以来、ほぼ毎日にわか雨が降っている。12月を過ぎても冷房なしで夜を過ごすという健康的な日々を送っているのは、この6年間で初めてのことだ。で、31日もどんよりとした夜だった。今回印象的だったのは、午前零時を過ぎて、急ににわか雨が降ったこと。あれは、花火の煙がどんより曇を雨雲へと変えたのに違いないと思っている。(H)